佐倉茶の老舗 小川園

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佐倉茶の小史

 明治4年(1871年)、政令により廃藩置県が施行され、佐倉藩の武士達も刀を捨てなければならなくなりました。その数約二千人。藩士達が生活していくには何か産業を興すしかないと考え、演武場用地と建物を利用し綿織や製靴の会社を作る一方、荒地を開墾し農業を盛んにしようという政策が立てられました。

 払い下げられた荒地の開墾にはあまり賛成する者はいませんでしたが、佐倉藩の重臣であった倉次亨(くらなみ・とおる)は率先して上勝田村(現八街市富山)の開墾に取り組み、藩の仕事として既に茶の栽培をしていたこと(現千代田地区畔田)、佐倉の土地が茶栽培に適していることなどからお茶の栽培を始める計画を立てたのです。

 有志を募り、明治4年10月、22名が集まり相談を重ね、翌11月会社を結成しました。社名を『みんな同じ心を持って力を合わせる』つまり『同心協力』の同と協をとって『同協社』としました。佐倉同協社の創設です。

 試行錯誤の連続の中、亨は全国各地へ見学に出かけ、絶えずより良い方法を求め続け、改良と努力を重ね、やがて明治8年6月、初めて茶を摘み、46貫(168.75kg)の茶が出来ました。翌年にはニューヨークにも輸出され、佐倉のお茶は好評を博したのです。

 以後、年毎に生産は増えて、最盛期には茶園180ヘクタール、総製茶量1,200トンというすばらしい成果を上げました。こうして同協社の製茶事業は士族授産のために亨を中心とした人達の手により、様々な困難を乗り越え、全国一の静岡茶と並び称されるに至ります。さらにはその製品は、海外にまで輸出されるようにまでなったのです。


  (以上、出典『佐倉市郷土の先覚者 倉次 亨』)

小川園製茶工場(昭和40年頃)

 同協社は大正9年に解散しましたが、小川園は明治45年の創業以来この佐倉茶の伝統を守り続け、深みのある芳香と味、佐倉茶ならではの逸品を皆様にお届けしております。

 そして平成18年(2006年)、小川園は佐倉茶の伝統を次世代に遺せるように、印旛沼のほとりに直営の茶畑を開きました。佐倉茶の歴史に新たに加わる銘品を、まもなく皆様にお届けすることが出来ます。どうぞご期待下さい。

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